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大阪で生まれ育った私の記憶の中で、小学生の時代が昭和だったあの頃、ご近所でお葬式があると、キャラメルやお菓子などが子供たちに「通供養(みちくよう)」として配られ、あまり意味もわからないまま「人が亡くなると、子供たちにお菓子が配られる」と言う印象で「通供養」を受け取ったのを覚えています。けれども、そのような風習もいつの間にかなくなり、今ではすっかり見られなくなりました。
もし、今の時代そのような事が行われれば、多くの親は「通供養」のお菓子を持ち帰った我が子に「どうして、知らない人から物をもらうの。もらってはダメ。」と教えるでしょう。でも、反面心寂しいものを感じます。
また、大阪でお葬式は当たり前のように自宅で行われ、喪家宅やご近所の方の台所で、喪家のための食事をご近所の方が炊き出しで作っていた事なども記憶に残っています。
今では、多くの方が仕事を持つ事で忙しくなり、ご近所との付き合いも遠のく中で、お互いに頼れない、あるいは頼らない事で更に拍車がかかり、手伝う方も、手伝われる方も、互いに気遣い遠慮し、また「ご近所といえども、あまり家の中に立ち入られるのも・・・」の感情も加わり、炊き出しによる助け合いも少なくなってきました。
その結果、食事は料理店に任せ、たとえ料理店に頼まなくても、今では昼夜を問わずたくさんのお店が開いていることも要因し食事や会食に事欠くことはなく、昔のように食事の確保にやっきにならなくてもよくなった、と言えます。
その際、ご近所の方が作ってくださる炊き出しは、必ず「精進料理」で、煮炊き物と、野菜の天ぷら、そしてびっくりするほどのたくさんのおにぎりでした。感謝の気持ちより、色に変化のない、野菜が主流の料理に味気なさを感じ、周りの方に疑問を投げかけ、その時「精進料理」の意味を教えられた事で、初めて不幸時には料理にも決まりがあることを知ったのを覚えています。
現在は、「あの時教えられた意味は何だったの」と思える料理が、式当日の仕上げ膳として用意され、今では私自身、「故人を偲ぶ気持ちがあれば、料理の内容にこだわらなくてもいい」と素直に思っています。そして、料理のパンフレットから、料理を選択するお客様の声からも「精進料理」の内容にこだわる言葉は全くと言っていいほど聞かれず、これもやはり時代を感じます。
そしてあの時代、大阪で葬儀の規模の大きさは、お供えいただく樒の数で判断され、生樒がたくさん並んだお葬式が普通に行われ、よく見る光景でもありました。
今では、住宅事情と車が行き交う道路事情などで、たくさんの生樒は並べる事はできず、生樒でなくても板樒や紙樒が同じ意味となる事から、大阪の多くの地域では板樒や紙樒へと変化しています。たくさんのお供えをいただいても、あまりスペースもいらず合理的で納得です。ただ、生樒を見慣れた方には、すこし物足らないかもしれません。
葬儀に利用する車両で言えば、霊柩車の変化は大きく、過去、霊柩車と言えるのは白木に彫刻が施された「白木宮型霊柩車」が霊柩車であり、現在のような外車による霊柩車などはなく、外車洋型霊柩車は"外国で使用する霊柩車"と言う観念でした。けれども、ここ10年の間、霊柩車は国産であれ、外車であれ、洋型が増え、「白木宮型霊柩車」の利用は少なくなってきています。
ただ、高齢の方が亡くなられた場合や、「白木宮型霊柩車」にこだわりのある方も多くいらっしゃり、日本独特の伝統的とも言える「白木宮型霊柩車」は、大阪ではこれからも"なくてはならない霊柩車"と言えます。
また、親族が利用する車も、出棺後、タクシーに乗り何台も連なって火葬場に向かう光景は一般的なものでしたが、現在は、マイクロバスが主流となり、自家用車の利用も多くなりました。
そのほか葬具品の変化として、お棺が印象的です。
木製のお棺がほぼ全てを占めていた時代から、現在では、さまざまな色の布棺、刺繍が施されたお棺、漆による漆塗棺など、芸術的と思えるお棺もあります。
もちろん今でも、大阪では木製による凝った彫刻棺も人気のあるお棺です。その他お骨箱や仏着等もさまざまな種類が提供でき、現在ではお客様の好みによりお選びいただく事も可能となりました。
そして、とりわけ私自身同じ女性として目につくのが、喪服。
昭和の時代、身内の葬儀では、必ずと言っていいほど母たち女性は必ず喪服に着替え、着付けと髪の毛のセットでバタバタとし「女の人は大変だなぁ。」と子供心に感じていたのですが、現在の大阪では洋服による喪服が大半をしめ、身内の不幸時に於いても、着物での喪服にこだわる方が少なくなってきました。
一般的な葬儀の流れとしては、「家族葬」と言う葬儀の形が現れた事が最も印象的な事かもしれません。かつては、弔問・会葬くださる方の気持ちを当然の事として尊重し、よほどの事情がない限り、喪家側から「遠慮してほしい」旨の言葉を発する事はありませんでした。これは、葬儀が発生すると、ご近所が大きく関わり、ご近所を無視して行う事は避けられず、たとえお手伝いをいただく事はなくても"弔問・会葬には必ずみえられる"と言う暗黙のうちの了解があったからと言えます。
しかし、現在では大阪で「家族葬」を行う場合、ご近所や町会、会社関係にその旨を伝え、意思表示をしておく事で、周りの方に了解していただけるようになりました。大阪の地域によっては、家族葬を行う場合、他地域の葬儀会館で行う事もあるようですが、大抵の場合、自宅や地域会館で執り行われても、周りの方は家族葬を心得、納得しておられます。たとえ弔問・会葬にみえられても、町会の代表の方だけであり、喪家の気持ちを尊重した葬儀が行えるようになったと言えます。
最後に、葬儀の際に誰の目にも印象深く残る祭壇です。
祭壇は、その時々で流行と言える飾りつけがあります。
昭和に於いて大阪では、白木祭壇と花による飾りつけが一般的で、少し費用をかけて杉による杉山祭壇、そして竹による青竹祭壇、これは竹を扱う職人によって行われました。
そして、現在につながる花祭壇は、その頃はとても費用のかかる祭壇として扱われていました。費用が高く、一般の葬儀では不向きであったと言えるでしょう。
けれども、今では、花の種類や使用する色も垣根がなくなり、たくさんの花が溢れ、使用する道具も洗練され、技術的にも優れた職人が増えた事で、リーズナブルな費用で花祭壇は可能となり、大阪で多くの方が希望される祭壇となりました。また、白木祭壇による花の飾りつけも個性的なものとなり、現在では、花祭壇と比べ甲乙つけがたい形で好まれ、今ようやく「お客様が費用を意識せず、好みの祭壇を選択できる時代になった」と感じます。
昭和、そして平成と時代と共に変わっていく葬儀。
これからもきっと、大阪では時代のニーズに合った「喪家主体の葬儀」へと変化していくでしょう。
けれども、いつの時代でも故人を偲ぶ気持ちは変わる事はなく、葬儀を行い弔うその重みも変わることはありません。
葬儀をお世話させていただく中で、故人となられた方の、あるいはお見送りされる方の人生に触れる事があります。
自らお話してくださったその生きざまや体験に、感動し、驚き、時には教訓となり、さまざまな思いとして心に残ります。
また、私自身葬儀社のスタッフとして葬儀を承る中で、とても印象に残る出来事もあります。
葬儀のご相談にみえられ、数日後に奥様がお亡くなりになられたお客様から、葬儀終了後、とても不思議なお話を伺いました。
夫婦で楽しみにしていた旅行があと数日と言う時に、突然奥様が倒れられ、救急車で運ばれ、意識のない状態で、数日後にお医者様から告げられたのは最後のお別れに向けての事。
すぐに私どもに相談にみえられ、その後も毎日のように電話をくださったり、おみえになられたりで、葬儀の段取りを何度も確認され、まるでその日を予知しているかのようで、私どもでも大変印象に残っておりました。
そのお客様が、奥様の葬儀を終えた後、「お葬式は"この日"と確信していた」と、突然お話をされたのです。
この日とは・・・
最初の奥様ともご病気が原因で死別され、その奥様の葬儀・告別式を行った3月3日の事でした。3月3日はこのお客様にとって、人生でいつも大きな出来事に関連する日で、とても結びつきが強い日なのだとお話されました。
そして、このたび私どもで葬儀を執り行った2度目の奥様は、この日近くに病気で倒れられたのです。
結局、お客様の予知していた3月3日は葬儀・告別式とはなりませんでしたが、「亡くなりました」との一報が入ったのは、やはりと言っていいのかどうか・・・3月3日でした。
このようなお話を伺って、ふと「自分にとって、結びつきの強い日は、あるのだろうか。」と、いろいろ思い起こしてみたのですが・・・私にはなさそうです。
とにかく不思議な結びつきです。
そして、もうおひとり・・・
最後の最後まで、死ぬ間際まで、けじめをつけたいと全て自らで奔走しお亡くなりになられたお客様のお話です。
夜中12時近く、私どものホームページをご覧になられ、お問い合わせの電話をいただいたのがきっかけでした。
ご自身が体を患っておられ、最後の日はもう間近であること、家族に残す遺産の処分をきっちりと決めたい事、そして他にもご自身の現役時代のご職業や、どのような体験をして生きてこられたのかなどのお話もされました。
そのしっかりしたお元気なお話の仕方で、ご病気であるとは思えないぐらいでした。
それからも、葬儀とは別に遺産相続に関しても心配し電話をしてこられ、その件に関しても私どもでもサポート、アドバイスをさせていただいたのですが、やはりとてもお元気なご様子で、葬儀の具体的なお話に私どもが躊躇するぐらいでした。
でも、お客様はかなり急がれている様子で、「自宅できっちりとした見積りをしてほしい。家族にも会っていてほしい」との連絡をいただいたのです。
私どもではご自宅に伺い、ご家族様立会いの中、お客様の納得のいく形での、葬儀のお見積りをさせていただきました。
その後、しばらく連絡が途切れ、重なる葬儀施行でバタバタとしていたある日。
「○○ですが」とのお客様の名前での電話。
"いつものお客様のお声ではない"と感じた時、「今、亡くなりました」の言葉が・・・
思わず「あの○○様ですか」と確認の言葉を発していました。
葬儀の打ち合わせに伺った担当者は、お見積りでご自宅に伺った時と同じスタッフだったのですが、本当にお元気だっただけに、誰も彼もがショックでした。
でも、ご家族様もおっしゃられたのです・・・
「最後まで、本当に元気で、最後の挨拶にとお世話になった方の家に訪問するぐらいで、誰もが実感はなかった」と。「息を引き取る瞬間まで、誰に何を渡してほしい、と話をしてました。」と。
最初のお電話をいただいてから24日目の訃報でした。
年が明け、1月1日を迎えた時、いつもとは違う朝を感じます。
心洗われたような改まった気持ちで始まり、「今年もいい年でありますように」と心の底から願い、自然と手を合わせ、「全てのものに感謝」の気持ちでいっぱいになります。
また、年の初めである元旦が意味するものは大きく、この日は怒る事、気持ちを逆立てる事は意識して避けて、何事にも心優しく穏やかでありたいと思うから不思議です。
葬儀社で働く誰しもが、1年中どの日どの時間帯であってもお客様のお問い合わせやお葬式の依頼に、すぐに対応し準備を進めて行く事の必要性を知っています。特に、年末年始にお葬式を行うお客様は、親戚や参列者への気遣いやその準備で、殊の外不安に思われます。私どもでもその気持ちが痛いほどわかるだけに、少しでも安心していただけるようにと万全の体制で臨んでいます。
2006年12月31日にご葬儀となったお客様は、以前にもお葬式を承り、このたび再度ご依頼をいただいたお客様でした。お客様のお顔や、お葬式の様子もまだはっきりと思い出されるぐらい最近の事であっただけに、引き続きのご不幸に驚いてしまいました。
12月30日に依頼のお電話をいただき、元旦にお葬式は行えないことや、大晦日に参列される皆様の状況も踏まえ、葬儀社としてそれらを十分考慮した上での段取りと手配となりました。時間の案内はもちろんの事、火葬場の確保など、迅速な対応で、ご葬儀終了後、お客様から「この時期にも関わらず希望通りのお葬式ができました。」の感謝のお言葉をいただく事ができました。
過去に於いてもそうなのですが、私どもに2度、3度とご縁をいただきましたお客様のお葬式の場合、当家はもちろんご親戚様、また町会の方々ともお知り合いとなっている事から、打ち合わせや式進行なども含め、いい意味で反映されるようで、悲しみの中にも心温かいお葬式を感じます。
葬儀社の12月は、仕事柄忙しい時期でもあり、また突発的なお仕事だけに、葬儀が重なるとスケジュール通りに行かないことも多く、1年の締めくくりは例年あわただしい毎日となります。
私どもの店舗兼事務所にも毎日ひっきりなしに誰彼となく訪ねてこられ、年末のご挨拶の言葉が行き交います。倉庫では、年末年始にかけての葬具品の在庫チェック、中でもお客様のご要望にお答えすべき種類や色が異なるお棺や葬具品の在庫状況には気を配ります。
また、大掃除は新年を清々しく迎えるためにも、特に念入りに行います。
そんな年末最後の日、お店の掃除をしていますと、「大晦日に火事になるなんて・・・」と思わず口走ってしまうような、けたたましいサイレンの音。お店の前を消防車が、後を追うように救急車も過ぎ去っていきました。
また、同じ日2006年最後のお問い合わせとなったお客様は、病院からのご様子で、お話からかなり急な状況が伺われました。
大晦日、全ての人がおだやかな気持ちで新年を迎えようとしている、とは言い難く、さまざまな状況をかかえながら、悲しみの中で年を越される方もいらっしゃる事の現実を強く感じました。
2007年「もり葬祭」は12年目を迎えることになりました。
多くのお客様のご縁や応援をしてくださる方々からの後押しにより、1歩ずつ成長させていただく事ができました。
何よりもお客様から「いいお葬式でした」と喜んでいただける事が嬉しく、葬儀社としてさまざまな経験も踏まえ、これからも多くのお客様の「頼れる選ばれし葬儀社あるいは葬儀屋さん」であり続けるための努力は決して怠ることなく邁進していく所存です。
新しい年が、皆様にとって健康で穏やかな心温まる年でありますように心よりお祈り申し上げます。
ここ最近の新聞、テレビで報道される相次ぐ子供の自殺は、子供たちの悲痛な叫びを大人たちが受け止める事のできなかった結果であり、その手立ては一刻を争うものです。
大人たちが、そして社会が遅まきながら、今の子供たちの現状に目を向け、事の異常さに気づき、やっと腰をあげたような気がします。
子供の通う学校でも、いじめに関しての、問いかけ、言い聞かせなど積極的に取り組み行動をしています。
今も、昔も変わらず、子供の言動は素直で純粋ですが、大人のようにオブラートで包んで話す事はできず、それだけにストレートで相手を大きく傷つける事があります。
私自身、人を傷つける事の悲しさ、命の重み、これらは小さい頃から、有無を言わせない状況で教えられ、叩き込まれたような気がします。
そして、小さいながらも祖母のお葬式で、死と言う現実を知り、遺された者の涙や悲しみで、命の重さに触れたような気がします。
でも今、何かがおかしい。子供、そして何よりも親たちが・・・。
私の周りでもお母さんたちが集まると、やはりいじめの話となり、いじめる側の原因は"教えるべき親や大人たち"そして"家庭環境、親の子供への接し方や関わり方"に問題があるのではないかとなります。
「他者に必要以上に攻撃的」「相手と自分の違いを受け入れる事ができない」「ちょっとした事で相手を否定し暴言を吐く」「暴力をふるう」などは、家庭内で家族も日常的にそうであるのか、またこのような行動に口やかましく注意し、叱る必要のある言動として親や家族が捉えていないのか・・・そんな風に親たちは感じています。
子供に言い聞かす言葉として、今も"思いやりを持って、相手の立場に立って考える、友達は大切に"などは頻繁に使います。
でも、実のところ、私自身、自分の言動に歯止めがかかっていたこんな言葉"バチが当たる""悪い事をしたら周り回って自分の所に返ってくる"は最近では聞かず、子供たちに言おうものなら 小ばかにしたように「バチなんかあたらへん」。
死語になりつつあります。
どうして大人達は言わなくなったのでしょうか・・・
子供がいじめを受けるきっかけを、大人が作ってしまう事があります。
身近にあった話として・・・
自分の持つ才能で評価を得た子供は、周囲の大人がチヤホヤした事で、天狗になり、気に入らないお友達を傷つけ、結果、子供達から反撃を受け学校に行けなくなってしまいました。
もうひとつは、親の先走った言動で、子供が孤立していった話。
周囲から注意を受けた我が子の行動は「我が子は悪くないけれど、周りが・・・」を、そのまま親たちにストレートに告げてしまった事で、結局は、子供たちの間で「何でも人の責任にするから遊ばない」と仲間はずれに。
けれども、これらとは対照的に、親同士の付き合いの深さで、いじめが解決に向けて動き出す事もありました。
子供たちの言葉のやり取りやいじめの関係は、客観的に見ている子供たちの口から親たちの耳へ。それを聞きつけた親たちの働きかけで、いじめている子供の親に伝えられ、その結果即刻対処となりました。スムーズに話が進んだ大きな理由は、それに関わった親たちの誰もが「そもそも子供に悪い子なんかいない」との一致した考えを持ち、「事の善悪をしっかり教えたい」を第一に、冷静に話しができる大人たちであった事、そして何よりもこの親たちには長い付き合いでの信頼関係があったからです。
どちらの場合も「親の関わり方で子供たちの状況が変わった」と言えます
子供たちを大きな温かい気持ちで見守り、行動する大人が、子供たちの心を温め変えて行くような気がします。
仕事柄、自殺で我が子を亡くされた親御さんと接する事もあります。
一人っ子をなくされたご両親は、葬儀を終えた数日後、「あの場所でお供養をしたいので、そちらまで来ていただけるようにお寺様にお願いしたい」と、胸の内を語られました。
亡くなった子供の気持ち、その気持ちが少しでも静まりますように・・・と。
子を持つ親なら誰しもが「自分の命を自らで決して絶たないで」の想いに尽きます。
そして命の尊厳を教えるのは、紛れもなく大人。
世の中が、そして人が優しくおだやかであれば、こんな悲しいことは起こらない。
"子供達たちが、毎日生き生き楽しく過ごせるよう、親として積極的に関わり行動して行こう"今、そんな想いで、声を掛け合う私の周りの親たち。この想い、全ての子供たちに届きますよう・・・
長年葬儀に携わっていますと、季節により葬儀の様子が少しずつ異なるのがわかります。
また、「お問合せ」や「葬儀依頼のお客様」から承る質問やご相談も、この時期だからこそと思われるものがあります。
「もしこの時期に亡くなっても、お葬式はしてもらえるのですか」と心配されるのが、年末年始、特に葬儀がお正月頃と予想される場合です。
一般的には年末は31日の最後の日まで、そして年始は、元日以外はいつでも葬儀を執り行いますが、31日にお通夜を行う事はなく、元日にお通夜や葬儀告別式行う事もありません。ただ、場所により火葬場の休みの日が異なる事から、全てがこれに当てはまる訳ではなく、葬儀は火葬場が休みではなく受付をされている限り行われます。
そして、その際にもうひとつ質問されるのが、「年末年始では葬儀費用は高くなるのですか」です。少なくとも私どもでは、葬儀費用は1年を通して何ら変わる事はないです。
何故なら、お亡くなりになる時がその方の寿命であると考えるならば、自身でその日を選ぶ事もできず、ならばいつお亡くなりになられても差をつける事はあってはならない、との考えを持っているからです。
ですから、どうぞご安心くださいませ。
春夏秋冬を通して、ちょっとした心遣いの違いとしまして、セレモニーレディが必要な葬儀では、弔問者・会葬者にお出しする、おしぼり・お茶は、夏は冷たく冷やしたものをお渡しし、反対に冬ならば温かいおしぼりと、熱いお茶をお出しします。
その他の季節では、その時の気候から判断いたします。
来客テントの中で使用する備品も異なり、夏には扇風機、蚊取り線香、鯨幕も涼しげなグレー色で。そして、当家には「暑い中をお待ちいただく弔問・会葬者様のお体に少しでも負担のないように、必要に応じて日よけとなるテントのご用意を」とアドバイスさせていただきます。
また、冬は暖をとっていただく為の暖房器具をご用意します。そして、テントには風が入らないように風除けの幕を張ります。暖房器具の種類はケースバイケースでお選びしますが、外では炭、式場内やテント中ではストーブを使用する事が多く、置かれる場所に応じ「効率的にそして危険のないものを」とアドバイスを差し上げております。
私自身お友達とのお茶の約束も、PTAのお手伝いもなかなか思う通りにならないのが冬で、お友達から「葬儀社は冬が一番忙しいと言う事を初めて知ったけど、一年を通して忙しいとか忙しくないとかがあるのね」と、よく言われます。
実はその通りで、とても不思議な事なのですが、一年中で葬儀社が最も忙しくなるのは必ず冬。毎年変わらず冬なのです。
"冷え込む大気のせいかな"と思ったりもするのですが、病院・施設などにいらっしゃる場合、建物内の温度調整はなされ、昔ほどに冷えを感じることはあまりないでしょう。
ですが、同じように体力的にきついと思われる夏以上に、何故か毎年冬が忙しいというのは、未だに不思議です。
冬はご当家様にとっても、火葬場や斎場・式場の空き具合により日程が延びたり、場合によりご希望の式場では執り行えなったりなどがあります。
また費用的にも、霊安室でのご安置が余儀なくされる事で、あるいは暖房器具の使用などにより、負担が増す事が考えられます。
花に関して言いますと、とても繊細なものであるだけに、1年を通し、花の扱いや温度管理には細心の注意を払う必要があります。
夏は、冷蔵庫から出すと、つぼみでも一気に開花し、腐りやすく枯れやすい花を式当日まで美しく保てるように。
反対に冬は、いつまでも硬いつぼみのままの花を、いかに思う通りの開き具合にさせるか、寒さゆえの花の状態に頭悩ます時期でもあります。
特に、同じ花でも、つぼみから開花まで微妙に異なる花の開き具合が美しいグラデーションとして表現される飾り付けは、式当日が一番美しい状態であるように計算し尽した上でのもので、これは経験が成せる技と言えます。
"夏だから"と言う事では、今年の夏も、水に関する事故でお亡くなりになられた方のご葬儀を多く承りました。
ご家族の方は警察からの知らせで初めて知る事となり、何が何かわからないまま、現実感のないまま急いでご葬儀の段取りをされる・・・、とても悲しくつらいお別れを何度も立ち会いました。
葬儀に携わる者として、夏は・・・気持ち的に重いです。
でも、一年を通して変わる事がないのが、祭壇を飾る花の美しさです。
いろんな方のいろんな祭壇をおつくりする時、祭壇の花の美しさは、花の種類や花の数ではなく、故人そして関わりのある全ての方の想いや気持ちが凝縮され映し出されているから・・・このように感じるのは、春夏秋冬のどの季節に於いても決して変わる事はありません。
2009年1月の所に、これまでの記事をまとめてあります。
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